佐藤琢磨
2006年08月18日
「世界が認める日本のサムライ」佐藤琢磨。F1ドライバーのほとんどが、子供の頃からレーシングカートでレースをしているが、佐藤琢磨は20歳でレーシングカートを始め、たった5年でF1ドライバーとなった異色のレーシングドライバー。
イギリスF3時代に、あのアイルトン・セナに並ぶ12勝でチャンピオンになり、マカオGPなどのワールドクラスのF3レースでも優勝している。これだけの実績がありながら、なぜF1のトップチームから声がかからないのか解らない・・・
F1の成績も、日本人2人目の3位表彰台、日本人初の予選フロントロウ獲得(2位)、日本人初のラップリーダーを記録するなど活躍。
2006年より、オールジャパンの新チーム・スーパーアグリF1チームのエースとして参戦。
佐藤琢磨(さとうたくま) プロフィール
生年月日:1977年1月28日
身長:164cm
体重:59kg
血液型:RH+A
出身地:東京都
公式ページ:http://www.takumasato.com/
高校・大学時代は、自転車競技に参加していた。インターハイ制覇、大学選手権優勝などの記録を残す。
F1ドライバーになるため早稲田大学を休学してまずはカートを始める。1997年に鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)でのスカラシップ獲得後、イギリスに活動の拠点を移す。F1関係者も見つめるイギリスF3では、最初から速さを見せなければならないと考え、まずはジュニア・フォーミュラであるフォーミュラ・ヴォクスホールJr.にダイヤモンド・レーシングより参戦し活躍する。
その後、満を持してカーリン・モータースポーツより2000年と2001年にイギリスF3選手権にフル参戦。2001年にはBARホンダのテストドライバーを務めながら、日本人初のイギリスF3チャンピオンとなり、国際F3レース(マールボロマスターズ、マカオGP)も制して、F3ドライバーとして世界の頂点を極めた。
2002年、ジョーダングランプリからF1にフル参戦。日本GPでは5位入賞の快走を見せ、優勝したミハエル・シューマッハーが、「このレースでは、もう一人ウィナーがいる」と言ったほど、日本人ファンが盛り上がった。
2003年は、将来性を取りBARホンダの第3ドライバーとして契約。最終戦の日本GPにて、ジャック・ヴィルヌーブの代わりに出走し6位入賞を果たす。
2004年にはBARホンダのレギュラードライバーに昇格。アメリカGPにて日本人ドライバーとして14年ぶり2人目の3位表彰台を獲得。また、ヨーロッパGPでの日本人初のフロントロー獲得、同じく日本人初のラップリーダーを記録するなど、日本人最高記録を更新し続けた。
この年、合計34ポイントを獲得し、BARホンダのシリーズランキング2位に貢献する活躍を見せた。
2005年は引き続きBARホンダにて参戦するも、マシンの不調などがあり成績が振るわず、1ポイントの獲得に終わる。また、ジェンソン・バトンのウイリアムズとの契約問題で割を食うかたちになり、BARホンダでのシートを失うことに。
2006年には、鈴木亜久里による新規参戦チームのスーパーアグリF1チームから参戦。このオールジャパンチームにて、F1の頂点を目指す。
F1での戦績
所属チーム:BAR⇒ジョーダングランプリ⇒BAR⇒スーパーアグリF1チーム
出走回数:67回(69回)
最高位:3位
通算獲得ポイント:40(44)
F1デビュー戦:2002年オーストラリアGP